信州大学 人文学部 菊池 聡 教授 専門(認知心理学)

ポジティブな心理をかたちづくるために、科学的な研究成果を応用した

メンタルヘルスケアの促進法を企業や社会が取り入れていくべきだと思います。

以前から、日々のストレスに負けずに、前向きに取り組むために心理学的見地から話を聴きたいという依頼を多く受けるという菊池教授ですが、メンタルヘルスケアの必要性についてはこのような見解をお持ちになっています。

心身健康な方でも、ちょっとした「うつ」に陥る危険は常にあるのです。

 

現代社会はストレスにあふれ、ご存じのように日本の企業の労働環境はたいへん厳しいものがあります。そんな中で、企業の方から、日々のストレスに負けず、前向きにものごとに取り組むために、心理学から役にたつ話を聞きたいというご依頼をよくいただきます。

もともと、私の専門は認知心理学という領域で、私たちが日常的にどのように思考を働かせているのかを研究しています。そのため、これまでの企業からのご依頼で多かったのは、的確な意思決定のための思考法やプレゼンの方法などだったのですが、最近は心理学の知見をメンタルな問題の解決につなげたいと考える方が増えているのがよくわかります。

精神的な健康を促進する方法については、従来はカウンセリングや臨床心理学といった専門分野が受け持つ話でした。しかし、認知心理学がカバーする意思決定や問題解決のための思考法といったテーマと、こうしたメンタルな問題は、一見全く別のように見えながらも、実は深い関係があるのです。

たとえば私たちが日常的にはたらかせている思考システムの中に、自分を落ち込ませたりネガティブな感情から抜け出せなくなったりするような思考のクセ(認知バイアス)が存在します。このバイアスが働くと、的確な意思決定を妨げるとともに、うつなどのメンタルな問題にもつながってくるのです。

そこで、どうすれば有害な思考の歪みにとらわれずに、柔軟に前向きな思考の態度を保つことができるのか、といったお話しを講演の中に取り入れたところ、非常に多くの方々から関心を持っていただけました。

メンタルケアの必要性について

 

ストレスフルな仕事や人間関係の中で、毎日を懸命にがんばっているうちに、何らかのきっかけから無力感やネガティブ感情にとらわれ、やがて抑うつ的状態に陥ってしまう方が増えています。

こうした例は、しばしば報道されていますし、皆さんの身近でも実感できると思います。

日常の中で不安やうつな気分を感じることは、実際には誰にでもあります。たいていはしばらくすると回復するのですが、ここでさまざまな要因が重なって深刻化すると抑うつ症状につながってしまいます。つまり、心身健康な方でも、ちょっとした「うつ」に陥る危険は常にあるのです。

そこで、ふだんから適度にポジティブなメンタル状態を保つコツを身につけ、実践しておくことで、心の健康状態を良好に保つことがとても大切になってくるわけです。

昔の人たちは、人生訓や宗教的な教えという形で日常を前向きに生きる智慧を身につけていたのでしょう。一方、現代ではポジティブ心理に関する科学的な研究が多く行われています。これらを応用したメンタルケアの考え方もぜひ取り入れていくのが望ましいと思います。

 

その具体的な原因、また有効とされる対応についてお聞かせください。

 

同じようなストレス状況にさらされた時、ある人はファイトを燃やして前向きに取り組むことができるのに、別のある人は無力感を感じて「うつ」に陥ってしまう、といったことがあります。人によって、同じストレスにどう対処するのか、そのスタイルもさまざまです。こうした違いは、もちろん能力や環境の違いによるかもしれませんが、その人の思考のクセ(思考情報処理の歪み)に強く影響されるということが、多くの研究から知られるようになりました。

たとえば、落ち込みやすい人は、現実の状況を柔軟に捉えられず、自分中心の硬直した見方から、ものごとの一側面のみを歪めて認識してしまうクセがあり、これが無力感やネガティブな感情状態を引き起こし、結果として抑うつ的な症状に陥る可能性を高くしてしまいます。

臨床心理学や精神医療の領域では、こうした認知の歪みを適切な方向へ修正していく認知行動療法がうつに対して有効な心理療法として知られています。

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ご専門の認知心理学から見て、フィジケーションセラピーの手法はどうですか?

 

私は、心理的なバイアスを手がかりとして、人がなぜ根拠がないものでも簡単に信じてしまうのかを研究テーマにしています。

その観点から見ると、しばしば話題になるようなセラピー系の心理学の中には、効果が怪しいものや、有効性を示す科学的証拠(エビデンス)を欠いたものが残念ながらしばしば見うけられます。

そのような中で、フィジケーションセラピーが用いるような適度な身体活動が、ふつうに生活して仕事をしている方々のメンタルヘルスの向上に有効であるという主張は、スポーツやストレスをめぐる心理学分野をはじめとして、精神医学の分野などにおいても、さかんに研究がおこなわれています。そして、この効果は、比較的、質の高い多くの証拠に支えられた信頼のおけるものだと考えることができます

特に同じリズムで繰り返されるような軽度の有酸素運動を継続的に続けることがメンタルヘルスの向上に有効だというデータはとても多く報告されています。たとえば、適度な有酸素運動は、日常的な不安を軽減し、ストレスを低減させ、自尊感情を高め、抑うつを軽減するといった効果がのぞめるとされています。もちろん、適切な指導者とプログラムのもとで行われる必要がありますし、うつ病の治療などには精神療法に匹敵する効果があるという報告があるものの、まだ研究途上にある分野でもあり、これであらゆるメンタルが大丈夫だというわけではありません。また、強度の身体トレーニングなど負担の大きい活動は、メンタルヘルス向上にはあまり効果が認められていないなどの注意点もあります。

こうした軽運動が精神的にいい効果をもたらすメカニズムは、生理学的な効果が大きいとされてきました。たとえば運動によってストレスに対抗するホルモンの分泌が促されたり、心血管系のはたらきが改善されるなどの、いわば医学的な面での有効性ですね。

これに対して、運動の効果は、人が自分の身体活動をもとに感情をとらえるという心理学理論からも支持できるものだと考えられます。

たとえば、怖いと体が震えるとか、うれしいと顔が紅潮するといったように、心理状態と体の生理的状態に関係があること(心身相関)は、誰でも実感できることでしょう。ただ、こうした場合、私たちは、気分が落ち込むから体がだるくなり、明るい気分なので体が軽くなる、というように、感情がもとになって身体状態が左右されると素朴に考えてしまいがちです。しかし、心理学の研究成果からは、この逆の関係こそ重要であるということが示されています。

つまり、自分の体の動きや状態を手がかりにして、そこから感情状態を主観的に認識するという仕組みが働いているのです。

この考え方は、人の感情に関するジェームズ・ランゲ説を起源として、情動2要因理論、自己知覚理論などに発展しながら、現代の心理学の主要な理論を構成しています。自分の身体がコントロールされ、運動の目標を達成しているという認知が、自身の心と体のエフィカシー(自己効力感)を高め、自尊感情などの前向きな心理状態を促進するということは、こうした心理学の理論からも導かれるものです。

フィジケーションセラピーという独自の取り組みに関する実証的なデータは蓄積の途上にあって、まだ未知数の部分もありますが、身体から心に働きかけていくセラピー技法はこうした心理学の知見と整合性が高く、そうした観点からもさらに効果的なものになっていくように、期待しています。

 

 

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菊池 聡 教授/ 信州大学 人文学部 専門(認知心理学)

 

認知心理学の理論から様々角度で心の働きを研究。人間が知らず知らずのうちに陥る

認知上の錯誤をわかりやすく解説するなど教育現場だけでなく、地域やメディアにも活動の場を広げる。

著作 『なぜ疑似科学を信じるのか~思い込みが生み出すニセ科学~』

   『自分だましの心理学』 など多数

 

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